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こんばんは。工房ひびきです。

Ⅰ. 武蔵野夜話

 1962年(昭和37年)~1963年(昭和38年)にかけて、西武初のカルダン駆動車として
デビューした601系ですが、量産化には至らず、後輩の701系が大量増備されました。
 一族4輌編成7本で28輌の陣容でした。

 少数派の宿命でしょうか、1976年(昭和51年)に701系の冷房化・高性能化が始まると、
6連化の種車としてMM´ユニット7組が全て701系に編入されてしまいました。
 601系瓦解の始まりでした。

Ⅱ. 瓦解

 MM´ユニットを失った601系の残党はクハばかり14輌。
 生き残る術は老朽化したクハ1411の代わりに、クモハ451と組むことでした。

 14輌のクハがある夜、評定を開きました。
 赤電たるもの、変幻自在に生きて車命を全うすべしという意見もあれば、カルダン車に
生まれながら吊り掛け車のお守りをする位なら死すべしという意見もあり、紛糾したよう
です。

 かくして14輌の内、クモハ451の相棒として生きることを選んだ者6輌、吊り掛け車と
組むことを潔しとせず腹を切ったもの8輌。
 前者はクハ1601からクハ1606、後者はクハ1607からクハ1614。
 僅かな差ではありますが、車齢の若い者がクハ1601形として最期を迎えたことは
悲愴と言うべきでしょう。

Ⅲ. 赤電かくあるべし

 生き延びた6輌のクハですが、601系という牙城も既になく、クハ1651として再出発
しました。
 時は流れ、相棒もクモハ451からクモハ551に替わりました。
 この時に空気バネ台車のFS40に換装されたのが、彼らのささやかな勲章であったと
思います。

 クハ1651として西武で生を終えたもの、さらに上信・流山・一畑に渡り生き長らえた者
・・・・。
 今回製作したクハ1601はクハ1657に改番され、西武籍のまま廃車を迎えました。
 クハ1602はクハ1658に改番、更に流山で活躍の後に廃車となりました。
 モハ601・モハ602は前述の通り、701系に編入されました。
 そのモハも廃車となって久しいです。

 赤電の使命は質より量を優先して、急増する乗客を捌くことにありました。
 いかなる相手とも柔軟に運用をこなし、老後は地方私鉄の近代化に貢献することが
彼らの生き方でありました。

 6輌のクハ。
 最期の瞬間までこう呟いていたと思います。
 「赤電かくあるべし。」

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こんばんは。工房ひびきです。

西武鉄道601系4連が完成し、旅立ちの日を迎えました。
お別れの前に撮影しておきましたので、車輌ごとに紹介させていただき
ます。

編成の向きをご案内する便宜上、編成は池袋線の池袋・飯能間に居る
ものとします。

2014年7月22日 旅立ちの日①
 飯能方先頭車のクハ1601です。

旧態依然のTR11-A台車をはじめとして、床下機器も旧型国電と見紛う
部品が多いです。

登場時の姿をプロトタイプとしていますので、Hゴムは灰色で統一し、ドア
表示灯も片側1個にしてあります。
編成も第一編成の601Fとしました。

前面窓のセンターピラーは、t0.3×0.5の洋白帯板を裏側から接着し、その
上から「へ」の字型に曲げた窓セルを接着しています。

2014年7月22日 旅立ちの日②
↑ 飯能方より2輌目はモハ601です。

クハに比べれば格段に若く見えますが、コンプレッサーはAK-3です。
AK-3は後の101系や2000系にも採用されています。

省資源の面以外にも、抜群の信頼性があったのだと思います。

2014年7月22日 旅立ちの日③
 飯能方から3輌目はモハ602です。

モハ601とMM´コンビを組む車輌です。
パンタグラフはこのモハ602に搭載されています。
パンタグラフの位置はMM´間ではなく、クハ1602側になります。

比較的シンプルだった屋上配管が複雑になり始めたのは、601系からだと
思います。

2014年7月22日 旅立ちの日④
 しんがりに控えるクハ1602です。池袋方を向いています。

例によって前後でワイパーの角度を変える、盆栽的工法です。
ワイパーを固定する前に、コンパスよろしく窓セル上を旋回させて細かい傷を
つけてみました。拭き残しのように見えます。

昨今の電車と違い、床下機器の電気側と空気側が明確に区分されています
ので、クハ1601と並べると床下機器やジャンパ連結器の配置が逆になっている
ことが判ります。

薄幸の系列とも思える601系ですが、お客様のもとで末永く活躍してほしいと
願います。


こんばんは。工房ひびきです。

完成間近ですが、これが立ちはだかります。

2014年7月21日 サッシ①
 サッシです。

551系では未塗装だったサッシが、601系では一部塗装されていました。
素材の銀色を活かす部分をマスキングし、トニーベージュを吹きます。
編成分となると4連でも結構な数です。

2014年7月21日 サッシ②
 トニーベージュを吹いたところです。

マスキングテープを貼って、すぐ剥がしてと忙しいです。
この手間が車体に貼った時に生きてきます。

2014年7月21日 サッシ③
 予想以上に効果的でした。

上段と下段の重なる部分と下端が銀色、その他がトニーベージュになります。
トニーベージュ自体は大人しい色ですが、601系であることをしっかりと主張
しています。

窓セルを貼れば、ほぼ完成です。
ラストスパートです。

こんばんは。工房ひびきです。

3連休ですが子供の部活があって、連日4時起きです。
土休日はスクールバスが出ないので、各家庭で送迎となるのです。
不安定な天気でしたが、試合も予定通り終わり、明日はゆっくりできそうです。
中学生もなかなか多忙です。

負けずに多忙なのが塗装職場です。
職長の眦が吊り上がっています。

2014年7月20日 塗装職場より①
 先頭車屋根前端のマスキングテープです。

屋根の中央から両端に降りて行きます。
屋根のRも中央と肩の部分で異なりますので、現物合わせ的な紙切りとなり
ます。

失敗も考慮して、余分に切り出しておきました。

合間には小物の塗装です。

2014年7月20日 塗装職場より②
 方向板枠です。

フクシマ模型製で、前面の折れ角に合わせて鋳造されています。
ステンレスのギラギラ感を出すため、ステンレスシルバーを吹きました。

従来はミスターカラーのステンレスシルバーを使っていましたが、今回は
ガイアノーツのステンレスシルバーを使ってみました。
元々は西武N2000系のドア塗装用に購入したのですが、辛抱しきれずに
試用してみました。

粒子が細かくて、エアブラシで吹いてもストレスがありません。
粒子の大きさでは、日光>ミスターカラー>ガイアノーツとなります。
前の2点はエアブラシの目詰まりが頻発して、作業性が悪かったです。

この塗料に付いては西武N2000系のドアを塗った時に、改めてレポート
したいと思います。

件のマスキングテープを貼ります。

2014年7月20日 塗装職場より③
 雨樋と隙間が空かないよう、慎重に貼ります。

吹き込むと目も当てられないので、テープはしっかりと押さえておきます。

残った部分を塞いで、塗装開始です。

2014年7月20日 塗装職場より④
 念のためディープラズベリーを吹いて、吹き込みを予防します。

乾いたらねずみ色1号を吹きます。

2014年7月20日 塗装職場より⑤
 マスキングテープを剥がします。

吹き込みもありませんでした。
職長の安堵の溜息が聞こえます。

この3連休での完成を目論んでいましたが、予定通り行けそうです。

もっとも難問が1つ残っていますが・・・・。

明日はサッシと窓セル貼りだけとなるよう、今夜はもう一頑張りです。

こんばんは。工房ひびきです。

中間車はベンチレーターと貫通幌を付け、屋上の電線部分に黒を塗りました。

2014年7月18日 艤装へ①
 ぐっと完成に近づいたようです。

後はサッシと窓セルの貼付けです。
サッシは実車の雰囲気に近付けるべく、一手間掛けようと思います。

先頭車のマスキングテープを剥がしました。

2014年7月18日 艤装へ②
 修正して、Hゴムを入れたところです。

中間車ほどではありませんが、小さな吹き込みがありました。
見なかったことにする誘惑を振り払い、エアブラシで修正しておきました。

2014年7月18日 艤装へ③
 前面窓Hゴムですが・・・・。

灰色にしました。
登場直後の写真によると、前面も側面も灰色のHゴムを使っています。

その後の写真では、前面窓だけ黒いHゴムに交換され、側面は灰色のまま
存知されています。
後年は両者とも黒いHゴムで統一されました。

前面・側面とも灰色Hゴムだったのは、登場直後の僅かな期間であったと
推察します。
「登場時」を標榜しますので、この姿を再現します。

実は自分のイメージは、前面・側面とも黒いHゴムです。
実車の登場が1963年(昭和38年)ですから、こちらに物心が付くまで変貌して
しまったのですね。

さあ、完成までもう一頑張りです。

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